私たちの歴史

日本、地震と津波、2011年

アトランティック・パシフィックの起源は、2014年春、アトランティック・パシフィックの創設者であるロビン・ジェンキンスが初めて日本東北の釜石を訪れ、3.11の津波の波を乗り越えた人々が海に流され、海から助けを求めて叫んでいるという話を聞いたことから始まりました。

この旅について、ジェンキンスは次のように説明しています。 「今回の滞在中に、印象に残っている話を聞きました。津波が去った後の夜、生き残った人たちは他の人を探しに行きました。彼らが目にしたのは想像を絶するものでした。捜索中、海に流された人たちが、凍えるような寒さの瓦礫の中で泣き叫ぶ声が聞こえてきました。彼らにできることは何もないとわかっていながら、救助隊は浜辺にとどまり、彼らの泣き声が消えていくのを聞いていました。救命ボートはどこにあるのかと尋ねたところ、日本には救命ボートのシステムがないことがわかりました。」

画像 (c): Laura Lewis

これらの話を聞いて、テムズ川のロイヤル・ナショナル・ライフボート・インスティテュート(RNLI)でデザイナーやボランティアとして当時働いていたジェンキンスは、もし日本にRNLIのようなサービスがあったら、あの夜何百人もの命が救われていたかもしれないと考えました。

「この話を聞いて、私は落ち着かずにどうすれば二度とこのようなことが起こらないようにすることができるのだろうかと考え始めました。 残念ながら、魔法のような解決策はありません。 しかし、私のデザインの知識、RNLIの救命ボートボランティアとしての経験、そしてユナイテッド・ワールド・カレッジ・アトランティックでの経験を活かして、私は一つの支援方法を想像しました 。

この取り組みから、アトランティック・パシフィック・インターナショナル・レスキューが設立され、アトランティック・パシフィックの「ライフボート・イン・ア・ボックス」のコンセプトが生まれました。

2年後の2016年には、最初のアトランティック・パシフィック「ライフボート・イン・ア・ボックス」は釜石に届けられ、現在は根浜湾・トライアスロンの支援として運用されています。 コミュニティの中核となる5人のメンバーが定期的に一緒に船の上でトレーニングを行っているほか、あらゆる年齢層の学校グループや地域、観光客を救命ボートステーションに連れてきて、救命ボートの存在を人々に啓蒙しています。

この取り組みから、アトランティック・パシフィック・インターナショナル・レスキューが設立されました。 根浜湾でアトランティック・パシフィック初の「ライフボート・イン・ア・ボックス」での知識と経験をもとに、この資産、訓練、乗組員が世界的な溺死の流行を減らすために世界中に展開できることが明らかになりました。

画像 (c): Laura Lewis

釜石のクルー

アトランティック・パシフィックには5人のレギュラークルーがいて、月に2回、ネバマ湾の救命ボートでトレーニングを行っています。 現在、根浜海岸は閉鎖されているため、正式に再開された後は、夏の間、救命ボートのサービスが完全に稼働することを願っています。

画像 (c): Laura Lewis

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